10/10 | ![]() |
最古のヨーロッパ文明 |
こんばんは。 次の週末は、京都でスクーリングの予定でしたが、流石に新幹線も運転を見合わせるという台風情報により、休校になりました。
今日はそのリカバリーでバタバタし、短い記事になります。

エーゲ海クルーズ三日目の朝寄港したのは、ギリシャのクレタ島。紀元前7000年ころからヒトが生活しており、紀元前2000年には、クノッソス大宮殿を中心にミノア文明が栄えた島です。ラビリンス・迷宮という言葉は、このクノッソス宮殿のことだと言われ、当時1600もの部屋からなっていたことが、わかっています。

ここは王様が謁見する部屋で、壁は修復されていますが、玉座は当時のままだそうです。もちろん、この上に木や布でいろいろと装飾されていたはずですが、そのままの姿を留めているのは大理石だけなんですね。

ガラス越しですが、女王様のお部屋の一部です。奥まっていたためでしょう、壁画がかなりきれいに残っています。

高さ1m以上あるカメがたくさんあり、当時から有力な交易品であった、オリーブオイルを入れていたと思われます。

交易でとても豊かな島だったので、土器でも装飾性の高いものが見られ、余裕のある生活であったことが想像されます。

少し時代が下がって、鉄器が作れるようになると、写真のとおり今と変わらない調理道具に錆止めもされていました。
さーて、明日からはこの旅で一番のハイライトが始まります。
今日はそのリカバリーでバタバタし、短い記事になります。

エーゲ海クルーズ三日目の朝寄港したのは、ギリシャのクレタ島。紀元前7000年ころからヒトが生活しており、紀元前2000年には、クノッソス大宮殿を中心にミノア文明が栄えた島です。ラビリンス・迷宮という言葉は、このクノッソス宮殿のことだと言われ、当時1600もの部屋からなっていたことが、わかっています。

ここは王様が謁見する部屋で、壁は修復されていますが、玉座は当時のままだそうです。もちろん、この上に木や布でいろいろと装飾されていたはずですが、そのままの姿を留めているのは大理石だけなんですね。

ガラス越しですが、女王様のお部屋の一部です。奥まっていたためでしょう、壁画がかなりきれいに残っています。

高さ1m以上あるカメがたくさんあり、当時から有力な交易品であった、オリーブオイルを入れていたと思われます。

交易でとても豊かな島だったので、土器でも装飾性の高いものが見られ、余裕のある生活であったことが想像されます。

少し時代が下がって、鉄器が作れるようになると、写真のとおり今と変わらない調理道具に錆止めもされていました。
さーて、明日からはこの旅で一番のハイライトが始まります。